日記まがい

変わったことがあれば書きます

最近見た映画

この、はてなブログには、お題スロットという機能がついている。

ブログのお題になるような言葉を、ランダムに表示してくれる優れものだ。

ネタが完全に尽きたので、この機能にすがってみることにした。

表示されたお題はタイトルの通りだ。

どうしようか……。

 

よしっ。

初見の映画を見たとき、その話の本筋よりも、ちょっとしたシーンが心に残ることが多い。

そういう話をします。

 

最近、「薔薇の名前」という映画を見た。

中世ヨーロッパのキリスト教修道院を舞台にした、サスペンス映画だ。

サスペンス映画か?

何のジャンルだ?

 

間違ったことを言いそうなので、まだ見たことのない人はぜひ見てみてください。

 

ある修道士とその弟子が、旅の途中で訪れた修道院で起こった怪事件を解決する話。

綿密な取材や時代考証を繰り返し、小道具の一つ一つに至るまでこだわりつくされた映画だということなのだが、なにぶん見る側が無学なもので、そういった部分への感動ができなかった。

中世キリスト教世界に造詣が深い人なら楽しく、正しく見ることができるかもしれないが、歴史の知識がゼロの私は、この映画をただの探偵モノとして楽しんだ。

 

最も心に残ったシーンはかなり序盤。

まだ登場人物の人となりすら、よくわかっていないタイミングでの一シーンだ。

 

修道院の一室に通され休憩する修道士が、その鋭い観察眼によって、弟子がトイレに行きたいと思っていることを見抜き、初めて来たはずの建物の、トイレの場所を見事に言い当てて、弟子をトイレに向かわせる。

あきれながら窓の外を見ると、墓場にカラスが集まっているのを見て、誰かがここで死んだということに気づく。

(こういう、映像の情報を言葉に直すのがうまくなりたいですね。)

 

「この人は観察眼がある!」とわざわざ言わないで視聴者に伝えるのと、修道院側にとってよそ者に知られたくないはずの事件に、修道士がかかわっていくきっかけを作るということが、同時に行われていた。

「うわー!ノウハウだ!」と思って、すごい感動してしまった。

 

映画をたくさんは見ないので、広く使われているベタベタな表現技法に感動している可能性が大だが、そういう直接的でない方法で、登場人物の性格や能力が明らかにされるシーンに、初めて出会ったような気がして、「そういうやりかたがあんだ!」と思ってそのあとの内容が全然入ってこなくなった。

 

名作として古くから親しまれる、小説なり、映画なりを見ることの良さは、こういうところにあると思った。

長く愛される作品というのは、扱う題材の目新しさよりも、各シーンでの洗練された表現方法に良さがあるのだと思う。

展開の不自然さが排除されていた結果、より多くの人に感動を与えているのだ、ということに気づくことができる。

 

内容じゃなくて構造に感動する経験があまりなかったのだが、これからは意識して観察していこうと思った。

同時に、教養として歴史ぐらいちょっと勉強しておこうと思った。