日記まがい

変わったことがあれば書きます

Paenitēre

進学先の大学では英語、第二外国語の他に、「選択外国語」と称してもうひとつ言語を学ぶことができるらしい、と聞いて、レパートリーの中から古典ラテン語を選んで履修登録した。何かに名前をつけるとき、ラテン語を使えたらかっこいいかな、と思ったからだ。

高校では日本史を選択していたし、テルマエロマエも実写版しか見ていないので、古代ローマのことなど、阿部寛の風呂作り以外何も知らない。別に研究をするためのツールとして勉強するつもりはなく、「まあこれも教養だよね」ぐらいのつもりで選択した。

悪夢の始まりである。

 

登録者の内訳が発表されて初めて、大半が英語講座を選んでいることを知った。なぜならほとんどの学生は、何年生になろうがラテン語の本など読まないからだ。

同じ学部に進学した150人近い新入生のうち、古典ラテン語を選んだのは10人ほどだった。ラテン語選択推奨の研究科の、募集人員の数とほぼ等しい数である。ほぼ、皇帝おたくで構成されている。

例文を和訳する時間に、先生が「皆さんご存知のハンニバルですよ」とか、「カティリーナにはこういう一面があったのですよ」などと余談を披露すると、周りは「へえ〜」だの「www」だのとレスポンスを返す。当然日本史選択は置いてけぼりである。

皆さんがたのしそうに授業に取り組んでいるのはおそらく、その先の目標のためには必ず手に入れなくてはならない技能の授業だからだろう。むしろ、このために大学に来ているような部分もあるだろう。

その点、私はどうだ。私にラテン語を学ぶ必然性があるか。無い。何かの役に立つ可能性はあるのかもしれないが、同じ時間で小説の一つでも読んだ方がいい。わたしには西洋の古典文化よりも勉強したいものがたくさんある。目標を何か一つに絞るとなると曖昧で、学ぶべき学問がどこにあるのか未だに見つけられないでいるが、どう考えてもラテン語必須の分野には無い。

 

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名詞が5つのグループに分かれ、その1グループごとに12通りの変化があったり、動詞の一つ一つに4つの基本形があり、その基本形と活用語尾の組み合わせで時制や動作の向きを指定したりする。これだけ複雑な上にそんなに興味がない言語の勉強だ。自習時間などほぼ無間地獄である。

 

春夏学期で授業が一区切りだった。そのタイミングで英語に切り替える人が2,3人いた。私がどうしたかというと、引き続き無間地獄に落ち続けている。

ラテン語に面白さを見出したのではない。

手続きが少々複雑で、登録ミスが怖かったのである。