日記まがい

変わったことがあれば書きます

良い文章

ホーム画面にすごい短い怪文だけ書いてるアカウントばっかりフォローするようになってから、上手いことを言いたい!!!ウィットに富みたい!!!富みたいウィットに!!!あるいはクールにウケたい!!!ウオーーーーーー!!!

みたいなことしか考えられなくなってしまった。

すぐに自分のホーム画面も怪文書に変え、定期的にふざけることにした。面白いものをみるとすぐについていくおもしろ雛鳥。深海魚を親だと思って、自分もそっち側の生き物なのだと勘違いしていることに、海に潜り、窒息しかけて初めて気が付いた。

私には人におなかを抱えさせる面白さがない。発想が貧困すぎるのだ。具体的に言うと、アイデアを生み出す頻度が低く、生み出すアイデアを客観的な目で吟味できないのだ。

一度そこから距離を置いて、ものを分かりやすく書く練習をすることにした。短い言葉で爆笑をとるのではなく、論理の整った説明で納得を勝ち取るほうが、特訓すればどうにかなるというか、勝ち目がありそうに感じたからだ。

またおもしろ雛鳥病の発作なのかもしれないが、文章がうまいに越したことはない。

文章を読んで、感心するような言い回しを見つけては、書き写し、暗唱する。どうして筆者はこの言い回しを選んだのかと考えて、違う言い方だとどういうニュアンスになるだろうかと分析したりする。

 

 

最近気になった文章を紹介する。

人気アーティストの米津玄師が、ドラマの主題歌にも採用され、大きな話題を呼んだ自身の曲についてツイッター上で言及している。

独特なリズムと旋律を持つ彼の曲は、素人がカラオケで歌うには少々難易度が高い。それなのに、

   

 

 である。

その人気ぶりには驚くばかりであるが、私が注目したいのはそこではなく、彼のツイート”それ自体”である。

 

歌い”難い”とは、なんだか耳なじみのない言葉である。しかし、「歌うのが難しい」という意味を伝えるためには、これ以上短くしようのない非常に洗練された言葉だ。

なんとなく、一般的な口語表現としては歌い”難い”よりも歌い”辛い”を選択してしまいそうだ。ただ、ここで後者を選択すると、「歌うのをはばかられる」というニュアンスが同時に生まれてしまい、文章が一意に定まらない。

彼が言いたいのは「カラオケで人前で歌うには恥ずかしい曲だろ?」ではなく、「歌うにはちょっと難しいだろ?」なのである。

書いた文章がどのように伝わるかについての、客観的な細かい配慮である。

 

こういう誤解を防ぐための配慮を、いかに自然に行えるか、というのも文章力の一つなのだと考えると、こっちも私の生きる道ではないような気がしてくる。

重箱の隅をつつくような細かい指摘を受けると、知るか!察しろ!という気分になってしまうのだ。