日記まがい

変わったことがあれば書きます

変な人

変人と呼ばれたこと、自分を変人だと思ったことはありますか。

 

(”はい”と答えた方へ)

「お前が一番まともじゃねーよ」という反応を期待して、「このメンバーでまともな奴、俺しかいねーな!」と言ったことがありますか。

 

この質問にも”はい”と答えた方とはおそらく仲良くなれそうにない。

同族嫌悪というやつだ。

 

”いいえ”と答えた方は人間味がなくて怖いので仲良くなれそうにない。

プレーンの嫌悪です。

 

中高生の頃の話をする。

突然、脈絡もなく変なことを言ったり、変な動きをして笑いを取ろうとしていた。

周りから自分は変人だと思われている、と思っていたし、変な言動をわざとやっているわけではないと思われている、と思っていた。今思えば絶対そんなわけがない。

最近は”変人”という言葉が、なんだか薄っぺらく感じられて、嫌いになってしまった。

 

突然おかしなことを言う人、好きなものの話となると途端に早口でまくし立てる人、勉強が趣味と言ってはばからない人、といったように、変人と言われる理由は様々だが、その人のマイノリティな部分に注目して、その人を変人と呼ぶのだとすれば、クラス全員が変人になるだろう。

実際そういう会話の展開になれば、人間は全員変人と呼ばれる可能性があるのだと思う。中高生の”変人”は、かなり安い。

 

そういうノリを続けていても、そのせいで特に困ることもなく生活できるのだろうと思う。「このメンツキャラ濃すぎwww」側は「このメンツキャラ濃すぎwww」側で楽しいはずだ。

実際高3ぐらいまでそちら側にいたし、それが楽しかった。

だが、インターネットにのめりこむうちに、自分がやっているようなことは、全国的に広くおこなわれていることで、もはやあるあると化していることだと知ってしまった。

自分を変人と信じて疑わないものにとって、あるあるの一部になるということは死を意味するようなものだ。

情報が集まるにつれてちょっとずつ自分のダサさを認識していき、徐々に徐々にそういう行いを慎み始めた。

 

たぶん、どっちが正しいとかないんだろうな、と思う。ただ、一度自分があるあるの中の存在だと気づいてしまうと、もう元の世界には戻れない。もう飲み会のキャラが濃すぎてしまうことはない。

もう二度と……。

 

今の自分の尺度からこれまでの人間関係を見なおすと、おそらく他にはいないような、本当に”変”な人が数人いたことに気づく。

あふれんばかりの才能と、どこか浮世離れしたような性格を持ち合わせていて、今思い返せば魅力的この上ない人たちだ。

いまではもう誰の連絡先も分からない。

あんまり仲良くなれないまま私のもとを去ったのは、彼らにとって私なんか、取るに足りない百凡のうちの一人だったからだろうな。

 

 

(”いいえ”と答えた方へ)

ふ~ん……。

……へんなやつ!