むりやり理由を作る
あなたが好きなテレビ番組を見ているとして、その中で人の見た目を揶揄することによる笑いが起こるとする。
その展開にひとしきり笑ったあとに、しばらくしてツイッターを見ていると、一連の流れが動画とともに激しく非難されているのを見つける。
どうするタイプの人ですか。
どうするタイプの人が多いんだろうか。
好きなものが、人の見た目だとか、性的な表現だとか、そういう話をし始めたとき、ひやひやしてしまうようになった。
私は結構そういうもので笑ってしまうのだけど、「低俗だ!」とか「セクハラだ!」とか言われているのを見つけると、なんだか後ろめたい部分もあるので、関心のないふりをして別の話を始める。
何かうまいことを言って論破でもできればいいのだが、私にそんな技量はないし、手を出さないほうが良い。
と、思って私が隅っこで体を折りたたんで逃げているのに。
めちゃくちゃ軽装でケンカを売りに行くようなツイートをする人がいる。
どうにかならんかね。
情報を集めるために、大学生としてのアカウントを作って、同じ大学の同期と思われる人を片っ端からフォローしている。
すると、苦手なタイプの人だと知らずにフォローしてしまう。
「おいおい俺もそれ好きだけどそんな言い方で反論しないほうがいいっておいおいおい」
「おい!」
みたいなことがよく起こる。
なんとなく、もしかしたら偏見というか、勝手に自分の投影をしてしまっているのかもしれないが、そういうものを擁護するときに、ホントは何となく好きなだけなのに、わざわざそれらしい正当っぽい理由をつけている人が多くないですか。
私たちは自分が思っている、もう二、三段階ぐらい弁論の才能がない凡人だ。
かっこよく、上手いことを言って称賛されるのは、そういうのがうまい人に任せて、私たちはほとぼりが冷めるまで毒にも薬にもならないようなことを言って、やり過ごそう。
スイーツがおいしかった話でもしてよう。
お前に言ってるんだぞ。