日記まがい

変わったことがあれば書きます

可能性は無限大なのだが

突然、カツ丼を作ってみようと思い立った。

豚肉とパン粉と卵を買ってきて、肉にパン粉をまぶしておいて、鍋に油を注いで180℃に加熱して、3分ぐらい揚げた後、ひとくちサイズにざくざく切って、溶いた卵でとじてみて、丼によそったごはんの上に、乗せて形を整えた。

箸を掴んでさあ、食べようと思ったところで、なんの味付けもしてないことに気づいた。

しょう油とか砂糖とか、そういうのを卵に混ぜてあるはずだよなと思ったが、完全に手遅れだ。

無味の炒り卵と、湿ったとんかつの奇跡のハーモニー。

見事な不協和音だった。

どうにか食べなくてはと、ソースで味をつけてみても、完全に卵が邪魔をしてくる。

こんなに手間のかかった美味しくないものが存在するのか、と思った。

結局残してしまった。

こんなことなら作り方確認しておけばよかったのに、なんでできると思ったんだろう。

 

小さい頃から(結構最近まで)、何でもかんでも親に頼んでやってもらっていた。

自分じゃできないと思っていた、というよりは、そもそも自分から何かをしよう、という思考回路が頭の中に無かったのだと思う。

変わり始めたのは、一人暮らしを始めてからだろう。

 

通販でCD買ったり、新しいゲーム機買ったり、映画見放題のサービスに登録したりといったことが、自分の意思で、自己判断でできることに気づいた。

バイトしてお金を稼ぐこともできるし、夜中家を出てコンビニで買い食いすることも自由なのだと実感した。

突然ジムに通い出したり、旅に出たりすることも、それほどハードルの高いことでもないようだ。

その気になれば、ある程度のお金と時間を使うことで、ほとんどなんでもできるのだ。

 

そういうことを考え出して、気になったことにはすぐチャレンジしようと思うようになった。

 

が。

なったはいいのだが。だ。

 

調べる手間とかそういう、ちょっとしたことを、惜しむというか、やりたがらない自分がいる。

ほんの少しだけ時間をとればいいだけのことをめんどくさくなって飛ばしてしまうのだ。

これも昔からの短所だが、まだ治っていない。

むしろ、いろんなことをやるようになったうえに割合が変わらないので、量がすっごい増えた。

 

カツ丼の卵には味が付いている、ということぐらい、ちょっと必要なものを書き出してみるだけですぐ思い出せたはずなのだ。

というか、初めて作るのだから作り方ぐらい調べるべきだっただろう。多分私以外全員やってる。

 

いくら失敗は成功の母と言っても、こんなカツ丼みたいな料理を出されたら、エジソンだってちゃぶ台をひっくり返すと思う。