日記まがい

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2019年7月13日「好きなこと以外で生きていくことをあまりにも嫌悪して生きている」

 

ゲームの企画書(3) 「ゲームする」という行為の本質 (角川新書)

ゲームの企画書(3) 「ゲームする」という行為の本質 (角川新書)

 

 今これを読んでいる。

もちろんこういうインタビューの中ですべてが語られているわけではないので、これを見ただけで進路をエンタメ産業一本に絞り始めたらそれは軽薄すぎるけども、やっぱり自分の興味はこっち側にあるなというか、揺さぶられるものを感じた。

 

飲食店でバイトをしているのだけど、バイトしながらこの本のことを考えていた。そして、あんまり思わないほうが良いことを思った。

(シフトの時間が近づくと気分が落ち込んでいく。)

(ぶつぶつ文句を言いながらも出勤し、言われたことやろうとするが、何度やってもうまくいかない作業があり、そのことで先輩に注意されてまた気分が落ちる。)

(いつまでたってもぎこちなく働いて、業務が終了した時にはへとへとだ。)

(だが、お金をもらうためには仕方ないと思って、どうにか仕事を続けている。)

(つまり、モチベーションもなく、適正もない仕事を続けて自分をすり減らして、その「埋め合わせ」として賃金を受け取っている。罰ゲームみたいなものだ。)

(客のこぼしたスープをはいつくばって拭いて、「ありがとう」と感謝されたりもして、そういう時にはうれしく思うのだが、それはほとんど誰にでもできる仕事であり、ふるっているのは自分の能力というよりは単に「人手」である。)

(誰にでもできるけど誰かがやらないと困る仕事であるというのはわかる。)

(今のところ自分の得意分野でお金を稼ぐ方法も知らないし、とりあえず人手でお金を稼ぐしかないので、できるだけまじめに取り組んでいる。)

(でも、今はアルバイトとして週2,3日働いているだけだけど、この先何十年もほとんど毎日働き続けるのだと考えたとき、様々な働き方が生まれているということを差し引いても、人手でお金を稼ぐ道を選ぶのはしんどいな)

というふうに思ってしまったのだ。

 

バイトリーダーはもう十年以上も働いていて、作業速度が私などとは比べ物にならないほど速い。初めは全然うまくいかなくても続けていくうちに動きが洗練されて、次第に「なくてはならない人材」になっていくということはよくあることのようだし、多くの業種においてその成長を見越した採用をしていて、即戦力しかとらない企業というのはあんまりないように思う。

そういうわけで、好きな仕事じゃなくても最初に適性がなくても、熱心に続けていれば次第に力がついてくるはずだし、意外と隠れた才能が見つかるかもしれないし、その先に面白さが見えてくることだってあるのだ。

でも、一度「自分の天職は別にある」と思ってしまったら、最初上手くいかないだけでどんどんやる気を失ってしまうのである。自分の才能とかセンスとかを最初の数か月で見極めたつもりになってしまうし、世の中のほとんどすべての作業には「熟練」という概念があることを忘れてしまう。

本を読んでゲーム業界にあこがれを持った私は、今すごく不安定である。

2年生で良かったと切に思う。直そう。