日記まがい

変わったことがあれば書きます

2019年7月16日「とびだせ勉強クン」

私が通っていたのは極端な進学校ではなかったから、生徒全員が「勉強勉強」しておらず、スポーツが得意な人もいれば絵が得意な人もいるしと言った風にそれぞれに個性があったように思う。

最初はスポーツも芸術も自慢できるほどの能力がなく、肩身の狭い思いをしていたが、入学後すぐの模擬試験の成績が思ったより良かった。

私は「勉強クン」になることにした。

今思えば、周りにはスポーツでも芸術でも勝てないことを意識していたことが勉強においていい結果を生んでいた。

点数が同級生を上回っていた時には「このままでいいぞ」と自分を肯定でき、得意科目で振るわなければ「このままでは取り柄がないぞ」と危機感を持てた。

途中、モチベーションが上がらずに自宅での勉強をサボってしまった時期があったのだけど、その中でも学校では「勉強クン」としてのプライドがあったものだから、社会科クイズの出題役になったりしながら知識の劣化を抑えていられた。そのおかげか、自習時間では劣っていても成績(学内順位ばかり気にしていたが)は高い水準を保持できた。

志望校を決める際に周りより偏差値が高いことを理由に選んでしまうなど、よくない面ももちろんあったけど、自分の役割を自認することでいい結果が生まれるという考え方は今の自分も大切にしている。大切にできているかは別として……。

ただ、勉強クンになったとはいえそれは高校という小さな共同体の中での得意分野であるから、「いっちょ有名大学行ったろかい」と意気揚々と進学すると痛い目を見る。

キャンパス内にいる人は私のような他に取り柄のない勉強クンだけではなく、「全体的に勉強ができる学校」のスポーツクンとか芸術クンとかもいれば、英語クンや日本史クンといったようなさらに細分化された得意分野を持つ人もいるし、大学で高校時代の私みたいな振る舞いをするスーパー勉強クンみたいな人もいるわけで、私の得意分野はあっという間に溶けたのである。

自分の役割を把握するのは大切だけど、「勉強」のようなざっくりとしたくくりで認識していると、やがて自分を上回る人を見つけた時に簡単にアイデンティティが吹き飛んでいく。

「勉強の中でも特に……」「まず勉強。それから……」といった風により細かく自分を分析して、単なる勉強クンから飛び出していかないと危険なようだ。

範囲を広くとればとるほど、上には上がいる。