日記まがい

変わったことがあれば書きます

不注意の日

 机から顔をあげると、照明も暖房もついている。ちょっと居眠りでもしてしまったのかと窓際の置時計を見ようとすると、カーテンの隙間が明るくて小さく絶望した。「帰ってきてレポートでも進めるかとパソコンを起動して、そのまま寝入ってしまったのだな」というような意味のことを頭の中で何度かつぶやいて、そのあとはしばらく何も考えなかった。

 目ヤニがまぶたを張り合わせて、開くたびに音が鳴るようだった。顔を洗いに行くためには立ち上がる必要があった。9時間近い正座で土色になった足をもみほぐしながらテレビをつけて、他に何もやっていないのでニュースを眺めた。普段からまじめに見ていないので、レーダーが云々と言われてもちんぷんかんぷんだったが、とりあえず格好をつけて眺めていた。まもなく占いが始まって、牡羊座が2位であることを確認した。そうこうしているうちに、血行が良くなっていた。立ち上がって顔を洗ったあと、テレビを消して、スマホをつけてツイッターで世界を知ることにした。テレビを見ると興味がないことも知ることができるのだけど、私は脳の、そういう興味ないものへ目を向けるための部分が、長い間使ってないせいでやせ細ってしまっている。

 グーグルがめちゃくちゃ訴えられてすごい罰金を取られそうになっていた。自死した偉人を集めたまとめサイトを見て、予想どおりのチープさに安心した。その他3分後には忘れるようなこまごまとした情報を、着実に忘れながら午前を過ごしていく。昼まで何の予定もないのだ。

 空がよく晴れて、温かな日差しがアスファルトを照らしていることをベランダから確認した。今日は歩いて行こうかと、秋口のような身支度をして、玄関を出て鍵を閉める。途中で定食屋にでも寄って、朝食兼昼食をとっていこうかと思った。ゆっくり本でも読みながら時間をつぶして、ちょうど13時に大学に到着するようにしよう。

 無料のコーヒーを断って、ビッグマックセットを食べた。結果として昨日の晩から何も食べていない形になっていて、ずいぶん早く食べ終わってしまう。入口近くに陣取ってしまったせいで、居座るのは気が引けた。12時前に大学に到着し、そのまま図書館のラウンジで何もしなかった。生活の下手な人間だな、と自分への文句を口の中で言いながら、90円払って紙コップのコーヒーを飲んだ。

 最初の授業はプレゼン発表会だった。自分いるグループは先週発表を終えていたので、ずいぶんな高みの見物をした。ギリギリのタイムスケジュールでせかせかと発表が続いて、90分のうちにすべての発表が終わらなかった。先週は2組の発表で、今週は4組の発表があったからだろう。たぶん、みんな先週の時点で先生が変なことを言っていると気づいていたが、だれも何も言わなかった。みんなテスト期間の貴重な数十分を、貴重だと分かったうえで消滅させている。下手!おまえらみんな同類だ!

 いそいで次の教室に滑り込み、息を整える。結局先生が来たのはその20分後だったが、今日はもう、その程度では何も感じなくなっている。試験前最後の授業、大した内容ではないので、集中力もぷつぷつ途切れてしまう。どうせなら、と集中するのをやめて別のことを考えることにした。

 「『おまえらのつくったサービスの利用規約は利用者にとって非常にわかりにくいので少々厳しめの罰金を科すことにするが、おとなしく反省して従うように』って、すごい悪用されそうな話じゃないか?罰金って利用者にいくか?そんなわけないよな。国とか地域の金になるんだろうな。俺だったら絶対悪用するな。何をもってわかりにくいとするかとかぜんぜんわからんよな。利用規約が分かりやすくできるのか?なんでしないの?できないんじゃない?ざっくりしすぎてもそれは問題ありそうだけどな。いや、そもそも俺に関係のある話か?なんだ?」

 「人間としての生き方をいろいろと考えるうえでその答えの予想として自死にたどり着いた場合、その予想が正しいのかどうか確かめる正確な方法としては実際に試してみることを最初に思いつくのだろうが、もし期待した結果がそれによって得られなくても、フィードバックして別の死に方を試してみることも、死と比較してより良い生き方を検討することもできない。死を到達点みたいに考えて自死を選ぶのはあんまり論理的じゃないような、そんなにかっこいいことでもないような気がする。そういえば『よし、死んじゃお!』みたいな偉人あんまり見ない気もするな。いや、ソクラテスそんな感じだったな。瓦解……。」

 突然先生が教室から外に出て行った。何かあったのかとボーっとドアを見つめていると、次から次へとみんなが出て行ってしまう。そうか、授業が終わったのか。早く出ないととは思ったが、慌てて立ち上がるのも恥ずかしいので、全員出るまで待つことにした。もう頭が「早く出ていけ」しか考えられなくなったうえで、物思いにふけっているふりを続ける。

 一人ぼっちの教室で、窓の外、見るからに寒空な空を眺めて、あんまり不用意には動けないぞと、夕方からの計画を立てることにした。図書館は試験前、朝まで開いている。近くの商店街でラーメンを食べて、その後は学習スペースにこもって勉強でもやろうかな。よし決まり。駐輪場へ一直線だ。

 30分後、今日はここまで歩いてきたということを思い出す。10分歩いて定食屋に到着し、そこでメンチカツ定食を食べながら本を読んだ。30分かそこらで食べ終わって、徒歩20分の帰路につく。この時ちょっとだけ、顔が笑っていた。

 冷え切った風がパーカーを貫いて内臓まで刺さる。ダウンジャケットを着なかった意味が分からない。早く帰りたいのに、歩いても歩いても景色がなかなか変わらない。通学には自転車を使ったほうが良い。せめてこの時間を何かに利用しようと、今日あったことを思い出して頭の中でブログを書こうとしたが、寒さで何も思い浮かばない。冬は寒くないような恰好をして、自転車で通学したほうが良い。

 意地でもネタにしてやる。絶対今日のことはブログ一日分として消化してやる。普段から自分の短所として認識していた「不注意」が、突然一週間分噴出したような一日だった。今日書かないでいつ書くのだ。部屋に入るとまっすぐ机に向かい、これ以上ない集中力で記事を書き始める。

 そうこうしているうちに日付をまたぎ、完成したのは1時半だった。編集画面の左下、「公開する」ボタンをクリックすると、切り替わった画面に大きく「メンテナンス中」と書かれていた。かねてから通知があったらしい。完全に見落としていた。2000文字が瞬く間に消えてなくなった。

 牡羊座が2位ということは、この一連の流れは不運ではないということだ。不注意を原因とする失敗の連鎖が、今日という1日を生み出してしまったのだろう。

 そういえば、先週のプレゼン発表の下調べで、うつ病ADHDの患者は、行動が突発的で、計画を立てられない傾向があるという論文を見た気がする。

 精神神経科を受診することを、一瞬考えたりした。私の予想が正しければ、無理を言えばおそらくちょっとした処方箋が出る。