日記まがい

変わったことがあれば書きます

厳密な言葉

 夫婦生活とか子育てとかのトラブルをツイートするとウケやすいようだ。

 共感する人が多いということとは別に、「そんなこと言ったって」みたいな意見が噴出しやすく、対立構造で煽りあって賛否とともに拡散するからだろう。

 5年前に見たような話がもう一度話題になったりするのを見ると、やっぱり答えの出にくい話題なのだなーと思う。あれだけたくさんの前例がネット上にあふれているのだから、年月とともに研究が進んで真実に到達し、「こうしたら夫婦間に問題は起こらない」みたいなハウツーができてもいいのになーと思うのだけど、時代とともに新しい問題が発生するということもあって、いざこざの種の全消しにはいまだに至らない。

 この「新しい問題」、私に妻も子もいないからそう思うのかもしれないが、たまに驚くほど理不尽なものがある。それって探さなきゃ見つからないやつなんじゃない?と思ったり、みんなに見てもらうために考えたやつじゃない?と思ったりするような、怖い話が現れる。

 もともと二人の問題なのにわざわざ口を出して自分の考えをぶつけに行くやつはもっといやだなとも思うので、絶対本人には言わないようにしている。でも、どうしてそんな意地悪なことを考えるんだと思って嫌になり、拡散した人を含めてミュートしている。

 

 そこまで厳しい話でもないのだけど、最近ちょっと気になった話がある。

 子供が熱を出し一日中つきっきりで看病していた奥さんに、仕事帰りの旦那が「お疲れ様」と声をかけた。「ごめんね」ならまだしも、「お疲れ様」というのは子育ての責任を押し付けているようではないか。

 無神経な発言は控えるべきである。

 以上のような話がラフなタッチの1ページ漫画にまとめられて、どこからか流れてきて私の目に入ってきた。「分かるけど」と思った。少し、人の言葉にナイーブになりすぎなんじゃないかと思った。

 なんでそんなことを言うのと思って相手のことを嫌いになるときがあるけど、多くの場合その原因は自分の中に自分なりの正しい言葉があるからだったりする。いろんな立場の意見を見るようになって価値観をアップデートするたびに、それを持っていない人を遅れているとみなして自分との差を使って怒るようになる。(誰かに認められた基準ではないが、怒っているときはその基準を絶対的だと思っている)

 相手が一番欲しがっている言葉を正しく届け続けるってほとんど曲芸みたいなもので、細かなニュアンスを気にしていたら何にもしゃべれなくなる。それは多くの場合お互いにとってそうだから、相手からの言葉に厳密な意味を求めないほうが良いんじゃないかなと思う。

 相手に対する本来の感情は、大まかでぼんやりとした形のないものだ。大体の人はどういう種類の言葉を言えばいいのかわかっているのだけど、それを実際に言葉にすると人によってブレが生まれ、相手が求める言葉とは近いけど異なったものになりやすい。それはいつも心に留めていたい。

 「悪意がないからといって~」「高慢さがにじみ出て~」みたいなことを言う人もいるし、「放っておいたらその人のためにならないから~」みたいな人もいるが、「相手を教育して私のレベルに近づけてやろう」みたいな思いがあってそうしているのだとしたら、もう少しぼんやり生きたほうが良いんじゃないかなと思う。

 明らかな悪意がないと分かるのなら言葉にそんなに厳密にならないで良いし、相手も自分もそんなに正しい言葉なんて使えっこないと思っていたい。